ミャンマーのバガンの”グレーな”ホテルに10年間の布告

主要なバガンの”グレーな”ホテルに関し、同市は10年以内に全てのホテルを特別地区に移動させることを決定した。
この決定は特に42のホテル、宿屋、ゲストハウスのオーナーに衝撃を与えた。そのうちのいくつかは状況の見極めができず未だ建設中であり、懸念が広がる。
バガンの全ホテルは今後10年のうちにBagan-Kyaukpadaungロードの横に位置する特別指定ホテル区域4に移転しなければならないと、遺産管理委員会のメンバーでありホテル・観光省副大臣であるSai Kyaw Ohn氏は述べた。
「損失を出すホテルもあるかもしれないが、彼らの投資分を回収するには十分な時間がある。私たちはバガン遺跡区域にあるホテルを認めることはできない」、決定は現政府により承認されたといった。
同委員会は内務省中将Ko Ko氏が会長を務める。3月4日の決定は2年前に暫定的に言い渡された42のホテル建設の禁止を確認するものである。
「私たちはバガンからさらに離れた市に他のホテル区域を用意する計画であるが、地価への影響を回避するためまだ指定には至っていない」とSai Kyaw Ohn氏は述べた。
建設を制限する1998年の法律があるにも関わらず、2012年までは多くのホテル、モーテル、ゲストハウスが考古学・国立博物館部の許可を得て建設された。2014年に同部はバガンを世界遺産に指定するようユネスコに求め、パゴダ遺跡に近い建物の建設を禁止した。
「彼らはユネスコの登録を受けるため2014年にホテルの建設を禁止したが、2013年の終わりまで、高さと距離の制限付きではあるが建設を許可していた。禁止されると知っていたら、ここで建設の申請をすることは無かった」と42のオーナーのうちの一人Kyaw Tint氏は述べた。「私たちは正式な許可を取って運営しているにも関わらず、現在私たちは法律を破っているかのように扱われている」。
他のホテルオーナーもまた法律の遡及適用を嘆いた。「少なくとも投資分を回収できるよう認められるよう望む」と彼は述べた。
彼によると、7つのホテルが文化省のAye Myint Kyu大臣により建設許可を受けたという。
Nyaung-U地区行政官Tin Htoo Maung氏はミャンマータイムズに、2013年に考古学部は一定の制限付でホテルの建設を許可したが、翌年には手のひらを返したと語った。
「これら全てのホテルが許可なく建設されたわけではない。問題の原因は考古学部であろう」、「法律は尊重されるべきであるが、観光に必要な配慮を行う決定の余地はある」と彼は述べた。
ミャンマータイムズが接触した考古学部職員は、42のリンボーホテルを休業させるつもりはないが、次期政権は彼らの立場を支援するだろうと語った。
「私たちは2014年に発行された許可を撤回したが、区域での建設は既に1998年の法律で禁止されていた。ホテル経営者に対し損失を補償する予定はない」と彼は述べた。
しかし何が突然起こるか分からず、状況は複雑なままである。
ライセンスがない施設は撤去されるが、同部署は、営業許可が与えられた理由を明らかにするよう、様々な理由で残るホテルを調査する予定である。
バガンホテル経営者協会の会長Zaw Weik氏は、関連するホテルには詳細が開かされていため、遺産委員会の決定の影響を図ることは難しいと述べた。
「それはまだ確定ではない。彼らは観光客の不便と世論を無視することなく突然の行動をとることはできない」と彼は述べた。
しかしあるバガンのホテル経営者は、市内にある古代遺産及び成長する観光業の保護、とりわけユネスコへの登録を確実にするためにホテルを区域分けすることを支持した。
「問題はホテル経営者の収入ではく国家遺産の保全である。私たちは長期的に考えなければならない」「これはホテル経営者にとって不利だが、国にとって有益である」と彼は語った。
旅行専門家のSabei Aung氏は、バガン住民は協議すべきである。相反する正式な指示の混乱を参照し、「このようなことが再び起こらないようにするには、どうすればいいだろう」と投げかけた。
(Myanmar Times 2016年 3月18日版 第4面より)